新聞奨学生の広場

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新聞奨学生時代以上の苦しみはない

イニシャル TK
性別 男性
生まれ年 1981年
新聞販売店名 坂田新聞店
販売店所在地 横浜市西区
出身高校名 高田高校
出身地 新潟県
出身高校名 法政大学
新聞奨学生になってみて、パンフレットの内容や人に聞いたことと「違っていたこと」は?

私は浪人時代と大学生時代は別の販売店でやりました。以下は浪人時代の販売店の話です。
①集金が強制的にやらされて、なおかつ、集金できない金は自腹を切らされた。毎月2~3万は自腹を切った。給料は完全集金込みの金額で、実際は2~3万少なかった。
②部屋は個室という話だったが、実際は3人一部屋だった。あまりにもうるさくて自分の金で安いアパートを借りた。すべて自腹だった。
③二食付きという話だったが、夕食は弁当で少なく内容も悪かった。
④休みがまったくなかった。休日は買い上げだったが、その金額は通常の給料に含まれていた。つまり実質ゼロで休日買い上げだった。

新聞奨学生を経験して辛かったことは?

①休みが新聞休刊日以外に全くなかった。したがって1年で1日中休めるのは1月2日のみだった。
②週1回くらい授業出席のために夕刊を休みたかったが、人手不足でそのようなことを言いだせる雰囲気ではなかった。そのためゼミにも参加できなかった。サークルはあきらめていたがゼミくらいは参加したかった。
③専業がパチンコ好き、ギャンブル好き、マージャン好きで何回も巻き込まれそうになった。並みに人間なら断れなかっただろうと思う。
④夏は暑くて死にそうになった。
⑤朝2時から起きていたため、授業中はほとんど居眠りだった。それで休んでしまえばおしまいと、授業中に寝ていた。

新聞奨学生を経験して良かったことは?

①親にまったく金の負担をさせなかったこと。当然奨学金と言う借金も背負うことはなかった。最近の学生は卒業時に500万以上の借金を背負っている人が珍しくないという。
②いろいろな事情もあり、卒業時は200万以上の貯金があった。現在の資産はそれを元手に投資で増やしたものである。
③とにかく良心的な販売店に恵まれた。今の自分があるのはそこの所長のおかげと感謝している。
④卒業後、会社つとめをしても、新聞奨学生時代以上の苦しみには出会わなかった。とにかく忍耐力がついたと思う。
⑤会社員になってどんなに忙しくても週1回休めることがどんなに幸せなことかしみじみと思う。
⑥お金を稼ぐことの大切さ、難しさを教えてくれた。今は無駄使いせずにお金を大事にしている。

新聞奨学生を考えている人へメッセージ

絶対にやめろ、という。借金してでも新聞奨学生はやらない方がいい。
自分は良心的な販売店に恵まれたが、浪人時代は最悪だった。
同じ地区を配っていた他社の人と良く話したが、夜は全員10時まで毎日拡張に駆り出されるとのこと。
いったい、いつ勉強しろというのだろうと思う。
もし新聞奨学生を考えているのなら、途中でやめることを前提に計画すること。
絶対頑張る、体力には自信がある、私は他の人とは違う、という精神論に頼らないこと。
できる限り大学をえらぶこと。3限の終了時間が早い、交通の便がいい。法、経済などのようにできるかぎり大人数の学部に入る。